2012年7月 のアーカイブ

オリンピック開幕

2012年7月30日 月曜日

あなたにとって記憶に残るオリンピック選手は誰ですか?

先日の27日からついに第30回夏季オリンピック競技大会がロンドンで開幕しました。 これから世界のトップアスリートたちがメダルをかけて戦います。 テッチャンもきゅーぶまんと一緒にがんばっているアスリート達をがんばって応援していきます。

ちなみにオリンピック期間中は「がんばれニッポン!ガンバルきゅーぶまん!」(http://o-mocha.jp/olympic/) というブログを解説していますので覗いて見て下さいね。

テッチャンにとってのヒーローはエリック・ハイデンです。

えっ、知らないですか? もっとも冬季オリンピックのアメリカのスピードスケート選手なんですけど・・・

1980年、レークプラシッドオリンピックで500mから1万mまでの5種目すべての金メダルを獲ったあのハイデンです。 当時テッチャンはたしか中学2年生でした。 金色のスーツに身にまとった姿を真似て、学校の廊下で先生のキャスター付きの椅子に逆向きに座り、カーブの滑り方の真似をして遊んでいました。

どうしてスケートに興味があったのかというと、小学3,4年の韓国在住時代、冬のスポーツといえばスケートでハンガン(漢川)沿いの池や田んぼに水をまいた即席スケート場がいくつもでき、そこでスケート遊びをしていました。コース状態は悪くて時々割れてそこでハマってしまったり大変でした。 ただ翌年はまた韓国へ行く事が決まっていてまたあのスケートが出来るという意識が働いたのかもしれません。

ミズは小学校から水泳とバスケ、シンは今のところ水泳だけですが最近はサッカーもしたいといっています。 ミズちょうどオーストラリアで海外研修中ホームステイ先でオリンピックを見るでしょうから日本とは違った印象になることでしょう。また、シンは水泳よりはサッカーの方が気になっている様子。

二人にとってオリンピックにどんな記憶が残っていくのか。そして未来にどんなオリンピックを観るのか?楽しみですね。

追伸  先週23日月曜日、オーストラリアから電話が入りました。ミズは到着早々バスから降りる際に足を挫いて病院行きとなり、先生からの電話でした。骨に異常無かったようですが、松葉杖で三日間通院せねばならないようです。これはまた貴重な体験が出来て、忘れられない海外研修となることでしょう。  海外研修中のミズは今日で1週間。この週末はホストファミリーと一緒に過ごしているはずです。3,4歳の二人の子どもがいるそうなので良い子守り役になっているのではないでしょうか。

海外研修

2012年7月22日 日曜日

長女ミズは今日から2週間、海外研修という名の修学旅行にオーストラリアへ出発しました。ここ数日はあれが無い、これが無いと家族を巻き込んでのバタバタ支度でドサクサに紛れて通知表さえ出さずじまいで出かけてしまいました。 まあ、そんな事になるだろうとは思っておりましたので、キチンと言わないかんことは伝えておこうと文をしたためて出発前にミズに渡しておきました。

以下、本文そのまま(但し、名前のみカナ変換)

ミズへ この手紙を読んでいるのはまだ飛行機の中かな?それともオーストラリアでちょっと寂しくなった頃だろうか? いずれにせよ約2週間はホームスティの事で頭が一杯だろうね。

ミズが家をこんなに長い間空ける事は初めてなので、こっちもなんか不思議な感じだな。 お父さんとこれだけ離れて過ごすのは君がまだ2歳の頃、約2ヵ月半のマレーシア出張の時以来かな。あの時帰って来た時に仙川の駅に迎えに来ていた時のミズのちょっと恥ずかしそうな顔は今でも忘れられないな。

ミズは海外へ行く事自体初めて何だから、何しろ全てが初体験なわけだ。 だったら徹底的に楽しまないともったいないね。 英語がわかる、しゃべれる、とかいうより、とにかく相手とのコミュニケーションを楽しむ、と思えば言葉が無くても何とかなるものだ。 ミズはその点生まれた時から誰とでも仲良くなれるという才能があるから心配はしてないよ。

けれども海外に出てから初めて気付くことがあるはずだ。 それは自分が日本人でありながら日本の事を如何に知らないか、ということ。 歴史、文化など向こうの連中はおそらく自分の国の事を良く理解している事を知り、自分の無知を知るだろう。 その自分の無知がわかった、という事を大切に覚えておいてほしい。 そこから日本を、そして自分のルーツを学べば良いだけだ。

君はまだ16歳、何をはじめるにも良い歳だ。 オーストラリアで学んだこと、気付いたことから、 ミズがこれから何かやってみたい、と思えるもの、夢中になれるもの、が見つかるといいね。 同じ歳の頃、 お父さんはホント、ラグビーしか出来なかったんだ。他にも楽しそうで、面白そうな事がたくさんあったけど、自分の体力、能力以上の事を毎日やっていたから、他のことは全く何も手が付けられなかったんだ。 それでも、そのたった一つの事を最後までやり遂げたというかけがえのない自信がついた。そしてその苦労を分かち合った親友ができ、30年経った今でも変わらず僕の宝物だ。

オーストラリアではそれこそ毎日が目まぐるしくて、慌ただしいだろうけど、 24日だけはちょっと心落ち着けてほしいな。 その日はナオミさんの誕生日だ。

今年もまた40歳、永遠の40歳をお祝いしてあげておくれ。 お母さんのおかげで今の君があるのだから。 最近は毎朝のお経すらあげていないだろう。だからせめてこの日はオーストラリアから唱えてあげなさい。

ナオミさんもきっと追いかけて空から見てるはずだ。 だけど、今のミズを見たらママは卒倒してしまうだろうな。 ミズのそのファッション・センス、ナオミさんがいたらそれこそ毎日喧嘩だね。 ファッションだって勉強しないと身に付かないよ。

さて、最近の日本は景気のいい話も少ないし、おそらくこれから何十年も景気が上向くこともないだろう。 けれどもこの海外研修で世の中の見方も変わってくるんじゃないかな。世界は広いよ。 そしてこれからのミズたちは常に世界を見据えていくことが大事だろうね。 世界にはまだまだ可能性がたくさんあるはずだ。 だからミズも夢をたくさん持ってほしいね。

お父さんだってまだまだ夢が沢山あるからね。 その一つが僕の持っている全てのものをミズやシン、そして次の世代へきちんとバトンタッチすること。 それまではしっかりやり遂げよう。

最近はミズとはあまり喋ることもないけれど、 まあ、お父さんもその頃は親と喋ったりしなかったから仕方ないね。

ただ今度研修から帰って来たら、みやげ話をたくさん聞かせてほしいな。 きっと、無事で元気に帰って来るのを楽しみに待っています。 テッチャン

しかし不思議なもので手紙に封をした途端、あれやこれやと書き忘れていた事がポロポロ出てきて、見送りの空港でもあれやこれやと言ってしまうんですね。

まあ、とにかく2週間精一杯楽しんできんしゃい。

 

梅雨

2012年7月16日 月曜日

あなたは傘を忘れた事がありまか?

連休真中で大雨もようやく納まりましたが九州各地で甚大な被害が出ております。 テッチャンのいる地元商店街のひとつ、西鉄通り商店街の一部でも膝下浸水となりました。 被害にあわれた方には謹んでお悔やみ申し上げます。

そして梅雨といえば傘は必需品。

その傘をしょっちゅう忘れたり、壊したりしてはテッチャンに怒られているのは我が家の長男シンです。

ミズの時は全く気もしたこと無かったのですが、 これって男の子特有の現象なのでしょうかね。

テッチャンには忘れられない傘があります。

結婚した時にナオミさんが揃えてくれた色違いのペアの傘です。私が紺、彼女がベージュのアクアスキュータムの例のチェックガラでした。 実はそれまではテッチャンも結構傘の置き忘れをやらかしていましたが、この傘になってから何度も危ない目をかいくぐり何とか無くさずに来ていました。

最初のピンチは結婚して間もない頃、高校ラグビー部の友人Bが仙台に来た時のことです。ナオミさんと三人で夕食を食べ、その後酒でも飲もうという事になったので以前から気になっていたおしゃれなバーに連れて行きました。

ナオミさんはほぼ下戸でカクテルか何かを飲んでいたのですが、帰ろうと立ちあがった途端ぶっ倒れてしまいました。 最初は店に迷惑をかけたと下手にでていましたが、バーテンの対応があまりに失礼だったのでブチ切れてしまいました。 何とかBの仲裁で店を出たのですが、うっかりその傘をしかもペアで忘れてしまったのです。

翌日、ナオミさんはケロッとして全く昨晩の自らが引き起こした粗相を覚えておらず、無情にも悪いのは傘を忘れた私だということにされて会社帰りに取りに行かされました。その時のバツの悪さといったら思い出してもかなりのキツさです。

その後もたびたび忘れそうにはなりながら何とかこたえていましたが、カミさんが闘病中これまた高校ラグビー部同級生との忘年会で自分が遠出が出来ないということでわざわざ二日市で飲んだのですがそこでやらかしてしまいました。翌日行きましたが誰かに持ち帰られたようでありませんでした。

ただちょうどナオミさんは傘など全く必要ない生活を過ごしていましたので、そのままテッチャンがその傘を使わせてもらい、その後持ち主がいなくなってからはテッチャンが譲り受けて使うようになりました。

それからはかなり大事に扱うようになり不特定多数の人が集うところへは別の傘に変えて持って行くようになりました。

それでも無くなる時は無くなります。

あれは前に住んでいた 地元町内会議に参加した時のことです。 地元の役員さんの集まりなのでメンツもわかるし、まさかと思い持って行ったのです。 ところが、帰る時にはもう傘立てにありませんでした。

信じられませんでした。 区長から傘のことを聞いてもらいましたが、結局は出て来ませんでした。

こうしてものは壊れたり、無くなったりして、身の回りから消えていくものなのです。 ただその記憶だけは無くならないでほしいものです。

担任

2012年7月9日 月曜日

あなたは小学校の担任の先生を覚えていますか?

テッチャンは転勤族だったので4つの小学校に通い、色々な先生に教わり、覚えてもおります。その中でも卒業年だった事もあり、5,6年生の時のM先生は特に記憶に残っています。 そのM先生が美術専攻だったおかげで自分は絵と音楽の楽しさを知る事が出来、とても大きな影響を受けました。 あの当時で大学を出て3、4年だった頃で20代中頃の今でいう新米先生だったのでしょうが、もちろんテッチャンにとってはそんな事全く関係ありませんでした。 その後も担任の先生には本当に恵まれて来ました。

で、何が言いたいのかといいますと、先生の影響はとても大きいということです。

では、自分の小学校の時は2年毎の担当制で、おそらく長女ミズの時までもはそうでした。

しかしシンは入学時から1年毎の担当の先生が代わる様になりました。

これはいじめや学級崩壊の対応策だと聞いたことがあります。 ただテッチャンは、生徒と先生の深い絆は一年という時間で築くことはとても短いような気がしてなりません。

ここで先週の懇談の話に戻します。 その時の話の内容は シンの隣のクラスの担任の先生が不祥事をおこし懲戒免職になったというのです。 その前日には、シンとナイター観戦に出かける寸前にメーリングリストで夜の緊急説明会の案内が来たのですが勿論出られず、翌日朝刊に事実のみが記事になっていました。

そしてテッチャンはこの日の授業参観後の懇談会にも出られなかったので内容はわかりません。

ただその日はシンと大分へ車で出かけたので逆に学校の事を色々話す事が出来ました。 朝礼時は「先生は間違った事をして学校をやめた。」としか説明されなかった、とのこと。

テッチャンは自己判断である程度はきちんと説明した方が良いと思ったので、こう伝えました。 その先生は女子中学生にズボンとパンツを脱いで見せたんだ、と。

それに対するシンの答えは「はぁ、意味わからん。」でした。 「お父さんも意味わからん。そやけん、大人が考えても意味わからんことしたら捕まるわな。」と答えておきました

この先生は今年は5年、去年は6年生の担当でした。この辺りの学年は女の子の方が多感な時期だけにこのニュースの与える影響は測り知れません。

もちろん先生個人の資質が一番の問題である事はわかりますが、個人の問題だけでは済まない気がするのは私だけでしょうか。 そうなる前に何らかの予兆はなかったのか? 他の先生、特に同学年の先生方は何も気付かなかったのかが気になります。どうしても何か殺伐とした学校、職場の雰囲気を想像してしまいます。

つまり子どもにとって先生は非常に影響の強い存在なのです。 これは学校だけに問題を押し付けるのではなく、親のフォローも含めてきちんと対応策を錬るべきだと深く感じています。

参観

2012年7月1日 日曜日

次の問題が解けますか?(○か×)

C君(兄)とDさん(妹)のお母さんは、男の子のC君には食事のあと片付けをしなさいとは言わないが、女の子のDさんにはあと片付けをしなさいと言う。

先週の金曜日シンの授業参観があったのですが、これはその時の道徳の授業で出された問題のひとつです。全部で8問ほどあり、4番目の問題でした。 まずこれらを各自考えさせてその後班毎に話しあって答えをまとめて発表する、という授業内容でした。

テッチャンは黒板に書かれたこれらの問題を見た時から、この4番の問題をクラスの子ども達がどう答えるのか?とても楽しみでした それから1番から順に発表していきましたが3番までは問題なし。 そして4番 おそらく文科省的には性別、兄弟での差を考えさせる問題なのでしょう。 ただこれは家族の決まりごと、しつけの問題ともとれます。

そして発表した子ども達の答えは・・・全員×でした。

ただ、先生もこれは答えが分かれると予想をしていたようで、最初は○にしていたのに途中で変えた子どもの1人にその真意を確認していました。

テッチャンはよほどここで「はいっ!」と手を挙げて、意見させてもらおうかと迷いましたが、時間的かなり厳しそうだったので邪魔してはいけないと、グッとこらえました。 案の定、ギリギリで最後の問題を終わらせてそのまま終了だったので、横槍を入れて中断させなくて良かったです(笑)

しかもその日は授業後の懇談会が学年全体でおこなわれるとても重要な会だったので(テッチャンは全く知らなかったのですが。)なおさら良かったのです。

しかしこの問題、その後も心に引っかかってしまいました。 テッチャンは何もお母さん達の擁護をするつもりはないんですが、このままではこの問題はお母さんが間違った教育をした、というだけの結果になります。

結局

うちでは翌日シンと二人で遠出をした際、この事をゆっくり話すことができました。テッチャンは班の打合せの時にどんな話が出たのかが知りたかったのです。するとシンの班にも○だと思った子が1人いたけど、皆で話し合ってその子も×に変えた、ということがわかりました。安心しました。答えは一つでなくて良いのです。 それからシンには我が家の場合を例にだして、ミズとシンのそれぞれの家事手伝いの役割の違いの話をしました。 後はきっとシンが自分で考えてくれることでしょう。

さて、懇談会のとても重要な話というのが気になるとは思いますが、

それはまた別の機会にでも。