2012年3月 のアーカイブ

3月のむすび庵

2012年3月25日 日曜日

今月のむすび庵は「春の種まきと野草料理を楽しむ!」でした。

まずは農作業で何かと必要な寸法を体の一部を使って測る、という事で自分達の身体を色々と測りました。昔から日本で使用されていた寸法体系の尺貫法の単位で、尺、寸、尋(ひろ)、咫(あた)、握(つか)、歩等を長男シンとお互いに測りました。むすび庵オリジナルの寸法として肘をまげて指先から肘までを1「シュワッチ」と名付けて測りました。 ここでわかった事。尋は両手を広げた長さで大体身長と同じだといわれていますが、テッチャンは手長で181センチの身長に対して尋は185センチ。シンも遺伝なのかやっぱり手が長く尋148センチもありました。

そしてこの後畑に出てニンジンの種まきをしましたが、この時畝に作る溝は10センチ、種は一粒づつ2センチ間隔でまいていく、という指示の時に先ほど測った身体尺を利用して寸法を決めるのです。 とはいうもののこの種まきははてしなく地味な作業で、シンなどはやり始めてすぐに「どこまですると?」「終わるまでたい。」「大変すぎる。」と弱音を吐きます。 ここは父として冷静に「そうやろ。この大変な作業をお百姓さん達がやってくれるおかげでおいしい野菜が食べられるわけやね。」と答えます。「うん。」「そしたら今度から野菜の好き嫌い出来んな。」「そやね。」少しでも理解してくれればいいですね。

この後は野草摘み。ツクシ、カラスノエンドウ、ノビル、ヨモギ、ナズナ、ヘアーリーベッチ等の野草を採るのですが、早い話、野良に生えている草を採って食べようってことです。しかもヘアーリーベッチって名前はなんだか格好良さそうですが、要は畑の緑肥です。そのくせこれがそのまま食べても結構おいしいのです。ちょっと豆のような風味がする草で「うまい、うまい!」といって畔で草を食べている我々の集団はどう見ても怪しい集団でした。

けれども普段の生活では確実に見逃してしまっているミクロの世界に子ども達と改めて見直してみるだけで、それは特別な世界へと変わるのです。ナズナなんててテッチャンはペンペン草と呼んで葉の所を細工してカラカラ音を出して遊んでいましたが、それを参加した小さなこども達に教えてあげるとワァワァいって楽しんでくれるのです。敢えてこんなアナログな時間を作って自然の中で遊ぶことがもしかしたら子ども達にとって今こそ求められているのかもしれません。

最後は調理。 野草でノビル以外の野草は大体、天麩羅で食事、となりました。

子どもあそび広場

2012年3月20日 火曜日

前回のブログでも去年のイベントの紹介をしましたが、週末の17,18日はテッチャンの地元二日市で「第5回ものづくりアート市」を開催しました。これは私も参加しているまちづくりNPO法人ほっと二日市の活動の一つで商店街の空家店舗の活性化対策ではじめたまちづくり活動のイベントです。 普段はシャッターが閉まった空き店舗を借りてその中に様々なものづくりに関わるアーティストが展示即売をします。当日は福岡県では一番古いといわれる大賀酒造主催の酒蔵まつり、中央通り商店街主催のスプリングフェスタも同時開催なので結構な数のお客さんが来ます。

テッチャンはこのものづくりアート市で特設会場として子どもあそび広場を担当しています。

まちづくりの切り口は色々あって、様々な活動があるけれど私自身はこの二日市のまちづくりでは「子ども」を何とか引き込みたい考えて数年前からイベントに合わせていくつか実験的な取組みを試みてきました。それも我々のNPO組織だけでは活動の幅が限られてくるので、他の団体と協同で出来る事を常に意識しています。

これまでには太宰府のムタ・アトリエさんとの「落書きアート」や藤アトリエさんの「かえっこ」などをやってきました。

そして去年からは子どもあそび広場をはじめました。 今考えると自分がおもちゃづくりをはじめるきっかけはここでのまちづくり活動の影響も大きかったようです。

そして今年はこれまでとはまた違ったアプローチをしてみました。

まずは昨年末から少しお手伝いをさせてもらっていた湯町アフタースクールの子ども達のアート作品の展示。これは学童の小学一年生の一部の面倒を見ているNPOカフェオレ学園の足立さんが主催するアフタースクールの活動の一環として子ども達に取組んでもらいました。 2月の中旬から会場に通ってもらい、その空間の中で子ども達がイメージして話し合ったものを作り上げるインスタレーションで二つのグループがそれぞれ「海賊船」「家」というテーマで作品作りに取組みました。子ども達は遊んだり、ふざけたり、また協力したり、ケンカしたりしながら徐々に出来上がっていく「もの」を楽しんでいました。きっと彼らは自分達が作っているものをアートだとは意識していないはずですが、子ども達が取り組んでいる過程そのものがアートなのです。

それから絵本の読み聞かせ。これは17日に地元筑紫野市の金のすずの方、18日はファザリング・ジャパン九州の理事であり、ガチンコ・シングルパパ宮原さんにお願いしました。 テッチャンはこどもにとってあそびが学ぶことであり、おもちゃと絵本がその両輪でどちらもなくてはならないものだと考えていますので絵本の読み聞かせもしてみたいプログラムの一つでした。 お二方ともさすが慣れていて子ども達の心を一瞬でわしづかみにして本の世界に引き込むあたりはさすがでした。

ガチンコ・シングルパパには無理を言ってもう一つ黒板お絵描きボードを提供してもらい、チョークで遊ぶ場を作ってもらいましたが、子ども達は黒板への落書きが大好きで人気のコーナーでした。

そしてもちろん、おもちゃのあそび場です。ここにはモチャのおもちゃを提供させてもらい子ども達に遊んでもらいましたが、子ども達から教えられた新たな遊び方の発見もありとてもよい勉強になりました。

最後は「エンづくり」ワークショップ。これは大きなシーツにマジックで落書きをするだけの遊びなのですが、一つだけルールを決めました。それは先に描いた誰かの円に自分も必ず交わらして円を描いてその中に好きな絵やメッセージを書き、次に人はまたその前に人に繋がりながら付け加えていくワークショップです。17日の夕方は出展者の皆さんとの交流会もありそこでも描いてもらいました。人は常に誰かとの縁で結ばれ、そして次の誰かとまた繋がっていく。そんなご縁を絵で表現できないかという試みでした。

テッチャン自身も新たな方々とのたくさんのご縁があった実り多いイベントでした。

3.11

2012年3月11日 日曜日

早いものであの東日本大震災から1年経ちました。

昼過ぎまで地元のほっと二日市で来週おこなう「ものづくりアート市」の準備をして、その図面を描いている最中に14:46分を迎えサイレンの音の中で静かに黙とうを捧げました。

 ちょうど一年前はその「ものづくりアート市」開催の前日,準備の真っ最中でした。私テッチャンはこのイベントで子どものための遊びの場を企画しており、そこでモチャの試作品展も同時におこない初めて一般の人におもちゃを公表する予定で張り切っておりました。

そんなわけで地震のあった頃は外での作業中でしばらくは何も知らずバタバタとしてましたが、何かの手配でほっと二日市に休憩所に戻った際にモニターから押し寄せる津波に車が次々と流される映像が飛び込んできて目を疑いました。

しばらくはただ立ちすくんでその映像を眺めるだけでした。

ふっと我に返りすぐに思い当たる友達にすぐにケータイから電話をかけましたが不通でした。彼に連絡が取れたのはそれから4日後、他の友人も無事でした。

地震関連のTVはそれ以後、最近になるまで見ることができませんでした。

あれから一年、自分はどれだけの事をしてこれたでしょうか?

あの出来事が自分にとっての転機になったことは間違いありません。丁度モチャの門出のタイミングに震災が重なったことは何か運命のようなものを感じました。またその事業が子ども達のために始めたこともその後の私の活動の在り方に深く影響を及ぼしたことは言うまでもありません。

このブログを書き始めたのは去年の6月から。その前月のゴールデンウィークには子どもの日イベントとしてグループ展を開催し、その売り上げの一部を仙台の友人に託し寄付しました。

 その後の活動の一部はこのブログでも書いてはきましたが、被災地の子ども達に対して自分が出来ることを試行錯誤しながら最終的には12月の14日から18日まで仙台へ行き現地の子ども達と遊ぼう、という活動となりました。
この記録は活動報告書(http://o-mocha.jp/image/sendairepo11.pdf)からも見ることができます。
そしてこれはあるセミナーで、仙台の子育てふれあいプラザ「のびすく仙台」の館長をしている伊藤 仟佐子さんの被災地の現状報告を聴いた事がきっかけでした。

 それではなぜ仙台にそれほど思い入れがあるのかというと、テッチャンは1994年から新婚時代の3年間を仙台で過ごしたからに他なりません。

 長女ミズは杜の都仙台で生まれたので瑞々しい樹木のように育ってほしいと願い、瑞樹と名付けたのですから。

 震災直後の新聞で塩釜で被災された方が必死に塩竃神社に登って命からがら津波から助かったと書かれている記事を読んだ時、娘を連れて家族でお宮参りに行った時の思い出と重なり自然と涙があふれました。

 私としてはナオミさんの三回忌を来月に控えようやく落ち着いてきた頃の出来事だっただけに、あの震災は自分の大切にしていた幸せだった頃の思い出まで奪われてしまったような感覚でした。

 そして今日、このブログを書きながらこれからも継続していける子ども達へできることを考えています。

おひな祭り

2012年3月4日 日曜日

3月3日といえば、そうひな祭り、桃の節句です。親が娘の健やかな成長を願うお祝いですね。我が家にも娘、長女ミズがおりますから我が家もお祭りです。

それからもうひとつ、それは「平和の日」。知ってましたか?これは日本ペンクラブが1985年第1回の「平和の日」を開催して以来、毎年この雛祭りの日に合わせて平和を祈って活動してきたようで、実はテッチャンも最近この事を知りました。 そして今年第28回「平和の日」が佐賀・鳥栖で開催されるという事で参加してきました。 現日本ペンクラブ会長 浅田次郎氏をはじめ、今井一、吉岡忍、見城美枝子、新井満、阿木燿子、中西進、高樹のぶ子というそうそうたるメンバーの話が聞けて、平和について考え直す大変良い機会となりました。

この話はまた別の機会にお話するとして、

実はこの日はさらにもうひとつ忘れてはいけない日なのです。それはテッチャンの両親の結婚記念日なのです。

すみません、全く個人的な記念日でした。

そして加えてその義母は先週の2月26日が誕生日でした。「義」が付いているという事は、そうナオミさんの母親なのですが、テッチャンにとっての義母の誕生日のお祝いで先週末は夕方から長男シンと義母の家にお邪魔しました。 長女ミズは部活の練習が終わってから直行、義妹家族も集まってみんなでお祝いしました。

お祝いをする、と言いながら実は何から何まで当の本人の義母が用意をしています。普通、我々が食事を用意しなければならないところですが、義母はおもてなしが大好きで全部自分で準備してしまうのです。

昔からそうで、よくナオミさんに手伝わなくても良いのか?と言ってましたが、好きなのだから出来るうちは勝手にやらせておいた方が本人も気が済むのだ、という結論で今日まで甘えております。

私はナオミさんという伴侶を失いました。それは義母にとっては娘という我が子を失うことでした。つれあいを失った私、母という存在を失ったシンとミズもも確かに大きな心の痛手を受けました。 しかし考えてみると、それは将来いつかは訪れる当然の別れでもあります。しかし我が子が自分より先に見送らねばならない親の悲しみは・・・私にも残念ながら計り知れません。

ナオミさんが他界してしまった今、二人の子ども達は孫と祖母という血縁関係で永遠に続きますが、そういう意味では現在のテッチャンは義母とは何の関係もないことになります。

けれども、義母とは(もちろん義父も)これからもずっと実の両親と同じようにお付き合いしていくつもりですし、我々にしてくれたこと、その最大の事はもちろんナオミさんを生み、育ててくれたことになりますが、に対してこれからもずっと感謝し続けて、その恩に報いていかねばならない。そう思っています。

いけませんね。ちょっとしんみりしてしまいました。

ちなみにその日は雛祭りも兼ねてお祝いしようという事で義母、義妹、ミズ、姪っ子二人の女五人衆は全員集合、にぎやかな食事会となりました。 それから長女ミズの雛人形はここに飾っています。福岡に戻ってからしばらく狭い家に住んでいたので雛人形を飾るスペースがないということでここに持って来たのです。

今はスペース的な問題もなく、義母もそろそろミズのために引取ったら?と勧められているのですがうやむやにして置かせてもらっています。

それはこんな風に雛祭りの時に訪ねて来られる口実ができるからであり、 つまりは両親との関わりを少しでも保っていたいという私自身の気持ちの表れなのでしょう。

それから一週間、昨日の3月3日、この日は母曰く「私達が結婚して以来雨になった記憶がない。」ということです。真偽のほどは確かではありません。

テッチャンにはふたりの母がいます。そしてそのふたりの母を大切にしていかないといけない、それは平和を願う事と何ら違いはないのだと、そう感じたひな祭りでした。