‘学校’ カテゴリーのアーカイブ

体育会

2016年5月15日 日曜日

運動会と体育会の違いって知ってますか?
ちなみに今日シンの中学最後の体育会がおこなわれました。
そして1年前の5月にここで運動会というタイトルでブログを書いたんですが、タイトル「体育会」の間違いでした。
1年振りのスミマセン、です。
ということで中学から呼び方が体育会に変わっていたことを最後の三年目でようやく気付いたテッチャンです。
でもこの運動会と体育会・祭の違いはちょっとネット上でも調べたんですがよくわかりませんでしたが一般的に中学で呼び方が変わるそうです。
まあそんなことより、我が家はシンが学校へ行くのか行かないのか、?という状況が三年になってからも波のように現れるので、今日は出校しただけでも良しとします。
弁当ももちろん一緒に食べてはくれませんでしたが、それも良し。クラブ紹介に出て、走って、引いて、とりあえず頑張って参加して、黄色ブロックが見事に優勝できたんで本人的には言うことなしでしょう。
むしろ明日から二日間の休みで生活リズムがまた崩れないかの方が心配です。
あっ、それから今日は5/15日、ヨーグルト食べてますか?
だいぶ前にも書きましたが今日は「ヨーグルトの日」。そして我が家の自家製ヨーグルトも相変わらず元気で、家族全員お世話になってます。
一時期、シンが朝起きれずにヨーグルト食べない日が何日かありましたが、「朝食だけは食べよう」と伝えたところ、起きて朝食を食べてから又寝に行く、というなんとも変な行動も現れましたW。
ただそれもまた良し。お腹が健康なんですから。

中二病

2016年4月10日 日曜日

「中二病」って知ってますか?

散髪失敗事件以来、たくさんの方からシンの事でアドバイスをもらいましたがその中で「中二病」という言葉を初めて知りました。
テッチャンは全く知らない言葉だったんでウィキペディアからのコピペによると以下の特徴があるそうです。1.洋楽を聴き始める2. 旨くもないコーヒーを飲み始める。3.売れたバンドを「売れる前から知っている」とムキになる。

4.やればできると思っている。
5. 母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」などと言い出す。
6.社会の勉強をある程度して、歴史に詳しくなると「アメリカって汚いよな」と急に言い出す。

シンの場合1,4,5の3項目が該当でしょうか。
しょうか?としたのは現状確認が取りづらいということで、未だ意思疎通はうまくいってはおりませんが、それでも中学校の先生が2度も来てくれたりして、なんとか3学期の終了間近に学校へ復帰して、春休みを迎えることができました。

その春休みにも親的には遅れた授業のサポートでもどうかと、塾等の資料集めなんかもして勧めたんですがどれもどれも却下。今は未だその時期ではないと要らぬ世話焼きは諦め、彼自身が望む時期にきちんと問題解決に対応できる様に改めました。

それにしてもはっきり言って同性でありながら男ってやっぱり面倒な生き物ですね。
ミズが中二の時はそれこそナオミさん亡くなった時だったので、もっと大変だったはずですが、彼女はそれを学校の保健室等を避難場所にして自身で乗り越えたということを後から聞かされました。

ということは、よーく考えるとシンは自身に合わない状況に対して表現の良し悪しは別にしてもきちんと表に出していたという点では、逆に自分の気持ちに素直だと言えるのかもしれません。

この4月からはなんとか進級できて中学最後の3年生です。もうしばらくはシンときちんと向き合っていかねばなりますまい。

不登校

2016年2月28日 日曜日

学校行けなくなったことありますか。
高校の時二日酔いで保健室のお世話にはなってましたし、大学時代は専門の課題を夜中やって日中の講義は欠席なんてことはザラだったんですが、残念ながら何事にもノンビリで鈍感なテッチャンは普段学校へ行きたくない、なんて感じたことすらありませんでした。もちろん時代も関係するのでしょう。その頃「不登校」という言葉は未だ一般的ではなかったと思いますが、自ら子育てに関わり始めると頻繁に聞こえるようになりました。
で、例のトラ刈り事件以来シンが不登校になってしまったのです。
東家初めての不登校にテッチャンはなすすべありません。
担任の先生に正直に伝えると、「坊主にせんですか」ハッ、ハッ、ハッと応えられましたが、そんな冗談も通じない状況に笑うに笑えませんでした。
日頃ワークショップでお世話になっている保育園の園長先生に相談等して、わかったこと。
それはたまたまこの一件が引き金になったが長い間溜まったものがある、ということ。
シンはあれ以来夜中ずっと起きていて、私が起き出す頃寝るという昼夜逆転生活で結局2週間休みました。
テッチャンとは一言も口をきかないのでこれまた相談相手からのアドバイスでノートでの交換日記をスタートです。そんなこと中学時代にさえやったことないテッチャンですが、返事のないシンに気にすることなく一方的な交換日記を始めました。
結局返事のないまま、2週間後にミズと一緒に散髪に行き、晴れて15日から登校再開となりました。その週末から期末試験のことは伝えていたのでさすがにやばいと思ったのかもしれませんが、親として正直ほっとしました。
そこから10日ほどなんとか学校へ行ったんですが、先週末再び休校、無理もありません。夜中起きてますから。
ただ今度は学校側も素早く反応してくれました。
翌日、また起きてこない旨を伝えると副担任が自宅までやってきてくれました。私は仕事でいなかったので話した内容はわかりませんがすぐに学校へ行ったようです。
週末また生活が時間が不規則になっているようなので明日からの学校が心配ですが、長期戦は覚悟してます。

散髪2

2016年2月7日 日曜日

自分で自分の髪を切ったりしませんよね。
このブログでも自らバリカンで散髪している事何度か書いてますけど、相も変わらずやっぱり自分でカットしているテッチャンです。
そして先週末今年初めての散髪をしたんですが、シンもボサボサだったんで一緒にカットする事にしました。
そしたらやらかしちゃいました。大失敗。
最初はスキカルに何も付けずにトップからクシと一緒に整えはじめました。カットしながら徐々に慣れてきて口も回り始めて説教をタレるのは性格なんでしょうか。
そしてあらかたトップが整ったのであとはバック、サイドの刈り上げなのでまずはスキカルにアタッチメントを取付けてからの作業なんです。
ところが。
当然アタッチメントを取付てから刈り始めるんですが、話しながらの動作で全くのノーケアでした。そして後ろの刈り上げを勢いをつけてはじめた一刈り目で、アッ?
気づいた時には時既に遅し、右後に一本のトラ狩りストリートが出来てました。
「ワァ、ごめん」と言ったものの、自分でも修復不可能なのは一目瞭然でお手上げ、ミズが帰ってきてから整えてもらおう、とそこには手を施せず仕舞いでした。
そこから先はご想像にお任せしますが、中学2年生の年頃の男の子にとって洒落になりませんよね。テッチャンはたまたまその当時逆にスポーツ刈り、バリカンが新鮮で興味あったんですが、シンにとっては逆にいい加減に卒業したい気分だったところに輪をかけたような行動だったわけです。
シンはそれから先ブッツリ、登校しなくなってしまいました。
ああ、全く洒落になりませんがそこはまた後にでも書くことにしましょう。

骨折

2015年11月15日 日曜日

骨を折ったことはありますか?
痛い思い出を思い出させてしまってすみませんが、テッチャンも遠い昔に一度だけ、高校2年の時に足の骨を折ったことがあります。
そう、この前のW杯での日本チームの活躍でブームになりつつあるラグビーの練習中の出来事でした。あっ、ちなみにそのブームの立役者のひとり五郎丸選手は母校ジュニアチーム出身で、W杯帰国後ジュニアの応援に母校グランドまで来てくれたようです。
もとい、夏休み中ということもありOB達が大学等から帰省中で数名参加して一軍と実践形式練習していたのですが、モールからラックになって倒れた時に左足をやってしまったのです。自分ではおかしい、と思ったんですが先生に言っても大丈夫だと最後まで練習を続けました。帰りも自転車で帰ったんですが、絶対おかしいとすぐに近くの病院へ行きました。レントゲンも撮ったんですが、結果は打撲。そのまま帰りましたがその夜は激痛で一睡もできませんでした。
翌日たまらずチームドクターがいる病院まで行ってみるとやっぱり折れてました。左足の腓骨だったんですが、おかげでその後3週間ほどギプス生活で夏合宿にも参加できませんでした。それがその年の夏合宿は後に地獄の夏合宿と呼ばれるほど厳しい練習だったようで、卒業してからも部の連中と飲むたびに必ずからかわれるネタになってしまいました。
そして話は、先月末30日のこと、テッチャンは翌日から東京での展示会準備、別件の打合せ等バタついている時学校から一本の電話。シンがどうも肩の骨を折ったようなので病院へ連れて行くので、後から来て欲しい、とのこと。
ハァ?という感じでしたが、連絡を待つしかありません。そしたら地元の病院から連絡があり、ここでは処置できないので大学もしくは総合病院を紹介してもらい移る、とのこと。その後結局近くに受け入れ病院がなく、春日市の総合病院まで連れて行かれました。テッチャンも午後からたまたま春日市で打合せがあり、打合せ後その病院へ向かいました。
肝心のシンはというと家族がいないためそれまで処置できず痛み止めだけで我慢してしましたが、先生からは即入院、翌朝手術というお話でした。
左肩骨上部が完璧に折れて反対に向いているので、場合によっては切開しての手術になる可能性もある、とのこと。
学校からは担任、体育教官、そして校長先生まで駆けつけてきたんですが、その校長先生がこれまたテッチャンのラグビー部の3年上のOB、おそらく先ほどお話した夏休みの練習にも参加してたんじゃないかというI先輩なのでした。
一方、テッチャンは明朝の飛行機も押さえていたので、出張も含めどうするか、頭の中はグルグル回っていました。
結局、シンをその日入院させ、夜遅く帰ってから飛行機をキャンセル、新しい夕方便を押さえて翌朝手術、これも切開せずワイヤー二本でなんとか固定させることができました。その後部屋に戻り母とミズも来て落ち着いたことを確かめてからテッチャンは出発。シン達を病院へ残して東京へ。
そしてその後の展示会準備も何とか間に合わせることができました。一方シンも術後経過が良く予定より早く退院できました。
今回の一件は、自分が最近いかに家族に向き合ってなかったか、と問われているのだと感じています。やはり一番大事なものは家族だ、ということですね。

米寿

2015年10月4日 日曜日

八十八歳のお祝いを米寿祝いと言うって知ってますよね。
ではそのお祝いをしたことはありますか?
昨日初めてその祝賀会に参加したテッチャンです。ついこの前も「恩師」というテーマで書きましたが、大学時代の恩師由良先生が今月八十八歳になられるということで教え子達がお祝いの会を催したのです。
しかしながら母校は残念ながら現在ありません。九州芸術工科大学という当時日本で一番小さな国立大学と言われ、一学科30名4学科一学年120名、バウハウスの理念「芸術と技術の融合」を目指した日本で初めての芸術工科大学だったのですが、現在は九州大学の一学部となっております。
テッチャンは就職イヤイヤ病で、大学院で2年ばかり卒業を遠回りしたんですが修論が書けずに四苦八苦していたところを由良先生の退官のドサクサにまぎれてなんとか一緒に卒業させてもらった次第です。それでも大学院で島原の湧水という素晴らしいテーマに出会い、そこで島原焼の桑取先輩を先生に紹介してもらったおかげでそれ以来家族ぐるみの付き合いをしています。先生とも就職後福岡を離れたので新婚時代の仙台でお会いしたくらいでしたが、二日市で独立した時期にたまたま秋月に承平堂というギャラリーを建てられ、先生の自宅もお隣の太宰府で近くだったので、管理を手伝うことになり以降ずっと付き合わせてもらっています。
今回は先生が大袈裟な祝賀会を嫌ったので、基本福岡在住のOBだけの声かけでしたが、40名弱の教え子、関係者が集まりお祝いしました。
先生は着物、袴に仁輪加せんぺいのお面をつけての登場、参加者へのおもてなしはさすがです。最後はお得意の「さようなら」の歌をみんなで唄って終わりでした。
そして今日は秋月ツアー。間もなく新築のため取り壊される秋月郷土美術館等を先生や当時設計に関わった先輩達のお話を伺いながらの半日、テッチャンは朝のお迎えから、最後のお送りまでほぼ一日がかりでしたが、まだまだ知らない話ばかり、とても楽しいお話でした。
テッチャンはもちろ八十八歳まで生きる自信もありませんが、せめて生涯現役で最後はポックリいきたいもんです。
そしたら、さんなぜその歳で若さを保てるのか、先生の答えは「簡単だよ。シンプルに過ごすのさ」

恩師

2015年9月13日 日曜日

あなたには恩師と呼べる先生はいますか?
台風一過の週末、関東、東北にはその後の大雨が甚大な被害を及ぼしていますが、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
その前、先月の台風は久々にこの二日市の上も通り過ぎ我が家も庭の木が一本倒木、車庫の板壁が一枚ハズれ改めて自然の猛威を思い知ったところでした。
さてその台風が通り過ぎた最中、小学校5、6年のクラス同窓会がありました。発端は級友の一人が東京からたまたま夏の帰省で戻るので久しぶりに会おう、と呼びかけたようですが先生はじめ、14名が集まりました。8年振りの同窓会でしたが懐かしい面々との再会のひとときは心地よいものでした。
テッチャンはホント、その時々で必ず恩師と呼べる先生に出会い、大きな影響を受けて成長させてもらいましたが、この小学校最後の2年間はテッチャンにとっては今やってる仕事のベースは全てここにあったんではないかと思えるほどです。それは担任の松永先生に負うところが大きく、アートという世界とは程遠い世界にいたテッチャンに自然と絵や音楽、映画等に慣れ親しむ機会を与えてくれました。
その分野が真っ白だっただけにテッチャンは、オリジナルの「サウンド・オブ・ミュージック」に感動し、歌う楽しみを知り、生き物係りが毎日連れてくる動物の3分間クローキーで描くことの楽しみを知り、海外への絵の出展にもワクワクさせてもらい、とにかく全てをスポンジの様に吸収したように思います。
残念ながらその後の中学、高校では全く別の世界に足を踏み込み、それはまたしっかりと別の分野の自分を形成してくれていますが、大学以降の進路でデザインを選択したのは、この小学校5,6年の2年間が直接影響したことは疑いありません。
そんな話をまだまだ元気な先生を交えて、みんなとにぎやかに話すことができ、次回の再会を世話役に託して別れがたい中同窓会を終えました。
ミズはもう学校生活も最後の年となりましたが、シンには恩師と呼べる先生にこれからもたくさん出会ってほしいものです。

中学運動会

2015年5月17日 日曜日

中学校の運動会は観に行きます?
「 来んでいい」「弁当食べんでいい」
自分が昔同じように親に思っていたことを、シンからこう言われてもハイそれと受け入れことなくしつこく追っかけるテッチャンでした。
そもそもテッチャンが中学校の頃は運動会に親は来てませんでした、確か。
それがいつ頃から変わったのかはわかりませんがミズの時は既に親参加は当たり前の時代になってましたから、当然観に行きました。
ミズはさすがに大人でしたからそんなこと言わなかったんでジジ、ババ、親戚まで入って大応援団で行ってましたが、今日はそれでもジジ、ババ連れで押しかけました。
それで肝心の観戦なんですが今日は本当に暑かったんで大変でしたが、団体競技の場合、自分の息子といえどもどこにいるのかわからないもんですね。
恥ずかしながら全くわかりませんでした。
それにしても中学校の運動会の内容ってかなり?じゃないですか。
ミズは引越前で隣の中学校だったんですがもう少しましな内容だった気がしますが、ここは走ってばっかり。
団体で作り上げたり、競い合ったりするものがすっかり落とされまるで事前の練習時間が足りないことを隠すかのような競技内容でガッカリです。どうせやるなら時期も含めてもう少しきちんと扱うべきではないかと思いました。

なりすまし

2014年11月30日 日曜日

なりすましたことありますか?

こういうとかなり犯罪っぽいんですけど、ようは勝手に両親などの代わりをしたことあるか?ってことです。

テッチャンは想像通りの小心者なんでそんな事絶対したことありません。

それが今週のこと、シンが期末テストの結果を持って帰ってきました。
一通りテスト結果を見た後、「学習の記録」という毎回各生徒が反省、今後の課題を書き、保護者がそれにコメントする記録誌に目を通しました。

すると前回の中間テストの欄が目に入った途端、目が点になりました。

その保護者からの欄に「もう少しがんばってください」ときたない字で書かれていたんです。

私じゃないです、なりすましです。

一目瞭然、シンの字です。「おーい、シン!ちょっと来ーい」です。

確かに中間テストの時保護者コメントを書いた記憶がなかったんですが、こんなことになってたとは・・・
しかもどう見てもそれまでもテッチャンの字(これまた汚い字なんですがw)とは違うにもかかわらず、担任の先生はそこに受け取りのハンコを押してるんです。

その後、シンに話を聞くと最初は他にも友達はやってる、と訳のわからない理由を言ってましたが、最後は観念して反省文を書かせました。

以下、同文を掲載。

お父さんがかくところを自分で書いたのは悪かったのであやまります。ごめんなさい。
でもあのときは時間がなくて急いでもっていくしかなかったのでああしました。
今度からはこういうことにならないようにきをつけます。

うーん、ホントにわかったのかな?

合唱コンクール

2014年11月2日 日曜日
合唱するのは好きですか?
いきなり変な質問ですみませんが、テッチャンは小学校5年か6年の時だったかに見せてもらった「サウンド・オブ・ミュージック」にとても感動しました。
そして確かクラスであのABCの歌やエーデルワイスを英語で合唱したんですが、楽しくてマジで歌っていたことを覚えています。
それから中学に入り毎年合唱コンクールをやっていたんですが、最初の年に1年上の演技を見たんですが、あるクラスでとてつもなく情熱的な振付で指揮をする先輩がいておったまげたのを今でも覚えています。
そう、確か陸上部のオカムラさんだったように記憶しています。
もちろん皆が皆本気で取り組んでいたわけではないのでしょうが、そんなことおかまいなしに全力で指揮をする姿に心打たれました。
そう、ありのままで表現することがかっこいいと思えた瞬間でした。
というわけでもうお気付きのことでしょうが、先日シンの中学校で合唱コンクールがあったらしいのです。
らしい、というのは残念ながらテッチャンは出張中のため見学できなかったからなのですが、シン達のクラスは準優勝だったそうです。
昔からハスキーボイスだったシンがなんとなく声変わりしはじめてどんな風に歌っていたのか見ることができず残念でした。
芸術の秋、というわけではないのでしょうが、この歳になって昔から音楽を歌なり楽器なりやっていれば良かったのに、とつくづく思う今日この頃です。